ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

教師という理不尽

何があっても、子どもにとって理不尽なことはすまい。

そう思いながら仕事をしているが、実際教師は理不尽なことが多いと思う。

 

例えば、子どもたちにはチャイム着席を守らせようとする。

しかし教師は会議の時間に遅れてくる。飲み会も遅れてくる。

ただ遅れてくるだけではない、悪びれもせず、堂々と佇むのである。

 

仲間はずれや人によって態度を変えたりするのは良くない、と教師は教える。

しかし、気に食わない若手教師に対しパワハラ同然のことをするベテランがいたり、

露骨に派閥形成をし派閥外の教師を威圧するような教師がいたり、

それこそ教師による教師へのイジメが世間を騒がせたのは、まだ記憶に新しいところだろう。

 

感情的になっている子どもに対して、感情的になるなと感情的に叱る教師がいたり、

授業中寝ている児童を叱る一方で会議になると夢の世界へ旅立つベテランがいたりと、

いやはや、実に理不尽な存在である。

 

意外と、・・・いや、当然のことかもしれないが、

子どもたちはそういった理不尽な教師を見抜いている。

 

かつて担任していた子どもたちが、高学年になり、そういったことをよく愚痴りにくる。

こんなことを言われた、あんなことをしていた、等々、

目の前にいるのも、その理不尽の一味だぞ、と言ってやりたくもなるのだが、

実に素直に、感じたことや考えたことを話してくる。

子どもの方に非のある内容であれば、その点を子どもに指摘する。

しかし、明らかに教師に非がある内容であれば、子どもに共感せざるを得ない。

 

大人は子どもにとって良き手本であらねばならぬとよく言われる。

当然、教師も人間である故、過ちが生じることはある。

特に子どもに指摘された時に、その過ちを過ちと認めず、強引に覆そうとすると、当然理不尽が生じる。

過ちを素直に認めることが、理不尽さを無くす第一歩になると思う。

結局、プライドの高さや精神的な幼さなどが、子どもにも見透かされているのだと思う。

 

見方を変えると、そもそも教師の置かれている状況こそ理不尽だとも思える。

コロナ禍への対応に追われるだけでなく、不毛かつ期限の短い調査が次々と降り注ぎ、

職員に感染者が出ることで、その穴埋めを残りの教員で行い、事務仕事は賽の河原の石積みの如く果てしない。

それでいて人事院勧告のせいで給与は減らされ、時間外労働が基準を超えていると行政から指導が入る。

時間外労働をしたところで一銭にもならないのだから、当然そのようなことはしたくないのだが、

しないと仕事が回らないのである。

学級閉鎖や短縮授業の影響で授業進度や時数にも影響が出ているのに、

授業時間を使わないとできないような調査を、この年度末に行なわされるなど言語道断である。

 

人権の問題、いじめ問題もそうだが、教師の置かれている環境を改善することも

より良い教育を行うためにも、子どもたちのためにも、重要なのではないだろうか。