ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

秋の長雨、スポーツの日なれど引きこもる

10月に入り、一気に空気が秋めいてきた。

朝晩の室温が20度近くまで下がり、暑さで寝付けない日々とようやくおさらばである。

 

ここ数日、またもやニュースで教育関係が荒れている。

 

ひとつは、N区中学校長の件。

生徒に手を出し、映像まで撮っていたらしい。

N区では課外活動のコーチの盗撮があったり、生徒に対する性的加害疑惑で加害者とされた教諭が自ら命を絶ったりと、

ここ数年性的な服務事故が続いていて、その都度校内研修が増え、自分の仕事をする時間がどんどん削られていた。

きっと今年もそうなのだろうな。

そもそも、事例を読まされ問題点を見出しと改善策を考えるという研修にどのくらい性犯罪抑止効果があるのか。

何か違う対処法があるのではなかろうか。

近年教員の質の低下が叫ばれているが、事故を起こしているのは必ずしも若い教諭だけではない。

もっと上の、現在管理職相当の年代についても、質の低さはあるのではないだろうか。

氷河期の前だったかな、やはり名前を書けば採用されると揶揄されるレベルの時代があったはずである。

今と違って体罰上等、やらされる仕事も少ない時代だったから気付かれなかっただけで、今と同じ条件にしたら話が変わってくるのではなかろうか。

 

管理職が変わると職場の雰囲気も変わる。

教員による性犯罪の抑止には、そういう側面からの対策も考える必要があるのではないだろうか。

要は、管理職と教諭の間に壁がない、何でも相談できる、風通しの良い職員室であることがまず大切なのではないか。

互いがよく見え、互いをよく理解し把握している環境が抑止となるのではないだろうか。

最もそう考える一番の理由は、自分の経験上職員が服務事故を起こす職場はパワハラに等しい管理職がいたり、我が道を行き我儘放題なベテランがいるような職員室だったりといった環境だという偏見からきているので、全く根拠としては乏しいのだが…。

 

ふたつめは、S県で新しく制定されようとしている虐待防止に関する条例のことである。

詳しくは条例を全て読んだわけではないのでわからないが、世間では「子供に留守番をさせてはダメ」「ひとりで登下校させたらダメ」という解釈がなされているようである。

すると、共働きの家庭は勿論のこと、仮に専業主婦または主夫のいる家庭でも、ちょっとした買い物やごみ捨てに行けないとか、教員も自分たちの数の40倍近い児童全員の登下校に付き添わなければならない、といった現象に陥ると言われている。

罰則はないが、子供がひとりで居るような場面を見たら通報をしなければならないらしい。

 

仮に、世間一般の解釈通りだったとしよう。

施行されたらどのようなことが考えられるか。

間違いなく「自称」正義の味方が現れて、片っ端から通報するだろう。

通報を受ける機関(警察?児相?教育委員会?)は通報の多さにパンクするであろう。

結果、本当に通報されなければならない重大事案が埋もれてしまうのではなかろうか。

 

県議のお偉いさん方が何を見てどのようにその条例案を考えるに至ったのかはわからないが、果たして世の中のことがちゃんと見えているのか、疑問を抱かずにはいられないと思う。

 

忘れちゃいけないのは、条例案を全て熟読したわけではなく、聞きかじりの情報であるという点だ。

そのような段階で善悪を判断するのは良くない。

ただ、世の中では条例案に反対する署名活動が起きているのは事実であり、市民にそのような非合理的な解釈をされてしまう条例案になっているということも事実であろう。

まずは条例案についてしっかり理解をし、その上で悪法だと断言できるのならば、然るべき対応をする必要はあろう。

それと同時に、これは選挙で選ばれた議員による立案であろうから、つまりは子育て世代の政治無関心が招いた事態である可能性もある、という側面も、しっかり受け止めねばなるまい。

子育て世代が日頃から政治に興味をもち、選挙権を正当に行使し、議員候補者にとって現役世代が重要な票田だと認識されていれば、違った形の条例案が出ていたことだろう。

 

政治、世の中への関心はとても重要だと思う。

まずは興味をもち、自分なりに考えること。

政治家が信用できないから選挙に行かない、では政治家の思う壺である。

投票率が下がれば、お友達からの票で当選できる可能性が上がるのだから。

信用できないならばこそ、選挙に行きその意思を投票という形で示さねばなるまい。

…最も、現行の選挙制度では白紙投票に意味をもたせられないので、そこから変えなければならない、白紙も意思表示であるという認識を政治家にもたせねばならないと思うが。

 

世の中は不満に満ち満ちている。

それを変えられるだけの力が、自分にあれば良いのだけれどなぁ。