ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

別れと出会いの季節

上書き保存タイプではなく、

別名保存タイプの私にとって、

辛い季節である。

 

今年は特に辛い。

 

身近に、職を辞したり、休職したりといった人が出たからである。

 

職を辞した人は、

笑顔が素敵で、

美人で、

若くてテキパキ仕事をこなす人だった。

地元に帰る、とのことだった。

異動とはまた違う別れに、喪失感も大きい。

 

休職した人は、

古くからの友人で、

この道に進むことを、

私が勧めたようなものであった。

とても真面目で、

細部まで拘るタイプで、

私より遥かに素晴らしい教師であったことだろう。

この道に進めさせてしまったことに対して、

申し訳なさでいっぱいである。

 

 

そういえば、

世間では「教師のバトン」なるものが話題になっている。

文科省による、

教師を目指す若者を増やすために、

教師の魅力などを紹介してもらうための企画だったようだが、

結果は残念ながら、

教諭や元教諭と思われる人々からの、

ネガティヴなメッセージが多く寄せられたようである。

 

多忙感

やりがいの搾取

待遇の悪さ

 

そういったキーワードが多く見られていた。

 

そこで、ふと思った。

教師は、

「肝臓」のようなものなのかもしれない。

 

沈黙の臓器と言われる肝臓。

不調を自覚した頃には手遅れと言われる。

 

教師も、

普段は自分たちの辛さを表に出さない。

いや、

実際は出していると思うが、

世間には届いていなかったり、

外部からの圧力等で批判され抑え込まれたりと、

思うように出せない状態にあったのではないか。

それが、

今回の一件を通して、

ある程度の匿名性を盾に、

一気に表出してきたのではないだろうか。

 

…いや、

世間知らずの若造がいくら考察しようと、

全くの無意味だ。

ここで考察はやめよう。

 

文科省が大きく間違えていると感じたのは、

そもそも教職の魅力を十分に味わえる環境を作ってきたのか、

という点である。

 

指導内容は増える一方。

ただでさえ勤務時間内に仕事が収まらない現状を改善せぬままに、

新しい取り組みを増やす。

業務量は増えているのに給料日は削減される。

特別支援を要する子供は何年増え、

保護者や地域からのクレームも減らず、

一所懸命に働く真面目な人ほど心身ともに削られていく。

休もうにも休む暇もなく、

昨年度はさらに長期休暇も削られ、

ろくに消化できずに残った年休をドブに捨てる。

そんな現状で、

若い子に魅力を伝えたい、

などと考えられるであろうか。

 

まずは、

現職の教員が魅力を感じられる、

そんな環境づくりが必要なのではないだろうか。

 

業務の精選をはじめ、

様々な待遇を改善し、

教師が教育を楽しむ余裕を作って、

初めて魅力を語れるのではないだろうか。

 

教育を疎かにして、

明るい未来は築けないと思う。

いつまでも立場の弱い教師から搾取するのではなく、

教師が進んで国の未来のために力を尽くすことができる、

そんな環境づくりをお願いしたい。