ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

いじめをなくすことの難しさ

いじめをなくせ

 

とはよく言われる。

いや、無理でしょ。

 

世間を見れば、

そんなことすぐにわかるではないか。

 

例えば公務員、

特に教員に対するいじめの例を挙げてみよう。

 

マスコミまで加わっての、

もはやいじめを越えて社会全体からの私刑とも言えるネタといえば、

「教員は常識がない」「税金泥棒」

この2つの言葉であろう。

 

一時期、公務員はよく税金泥棒と世間に蔑まれた。

私も実際見ず知らずのオバさんから、

遠足の引率中に言われたことがある。

まずそもそも、我々だって税金を納めている。

そして、家庭が無責任に放り出した、本来家庭が教育すべき部分まで請け負わされているのに、

なぜ税金泥棒と蔑まれなければならないのだろうか。

 

「教員は常識がない」

「社会経験してから教員になれ」

とはマスコミにもよく書かれている。

だが、そもそも世間知らずじゃない人間とはどのような人間なのか、その定義は定かではない。

世間知らずじゃない人間、はこの社会の中にどの程度の割合で存在しているのか、それも定かではない。

書いている、言っている本人は世間知らずじゃないと証明できるのか。

 

教員は、残念ながら常日頃から世間のサンドバッグであることを強いられる。

言いたいことも言えず、かといって周りからは言われ放題叩かれ放題。

そんな状況で、社会に羽ばたく優秀な若人が、

どうしてわざわざ教員なんか志望するだろうか。

優秀な人材であれば、真っ先に除外するルートであろう。

 

結局、役所は自分たちが楽にできることしかしない。

採用基準を緩和したり、他地域に声掛けたりしたところで、

現状何が改善されるのだろうか。

そもそも全国各地で教員不足が叫ばれているのに、

それを更に取り合ってどうするのだろうか。

 

これは本来国が率先して環境改善策を推し進めるべきであり、

教員の待遇改善、教育にかける予算の増強、保護者教育を行うべきではないのだろうか。

具体性にも有効性にも欠ける政策を推し進め、トラブルや結果が出なかったことに対する責任は全部現場に押し付ける。

これはまさに教員に対する国からのいじめではないだろうか。

 

現場にいると、常に孤立無縁、四面楚歌な状況であると痛感させられる。

国も文科も役所も頼りにならない。

下手すると管理職も同僚も頼りにならない。

保護者については諸刃の刃である。

このような状況で、どうしても満足に子どもたちを教育できようか。

 

教員不足が起こっているのは現場の責任ではない。

無責任な国や行政、

好き勝手振る舞う世間、

我儘放題な一部の保護者、

これらの責任であることを、

教員より世間を知っているはずである市民の皆々様がまず正しく理解しない限り、

そして日本のために頑張っている大多数の教員に対して報いることをしない限り、

おそらく解決されることのない問題であろう。

 

そして、歳ばかり重ねて実務能力のない管理職を淘汰し、

組織として健全化、効率化を進めていかない限り、

我々の働き方改革も成し遂げられないであろう。

これは現場と行政の責任である。

しかし如何様にすれば不適格な管理職を淘汰できるのか…