ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

空は高くなれど…

暑い。

少し涼しい日もあったけれど、また暑さが戻ってきた。

夕方の空は雲が高く、秋めいた雰囲気を醸し出していたのだが、日中は陽が出ているととにかく暑い。

秋よ、早くやってこい。

 

異動先の空気にもようやく慣れてきたようで、自分のペースで仕事ができるようになってきた、気がする。

一方、昨年度一緒に学年を組んだ、私にとって癒しそのものだった先輩が、今年はだいぶ苦労しているらしい。

自分の果たすべき仕事を期日までに果たさず、やるべきことの優先順位がつけられない後輩に振り回されているのである。

授業者なのに、校内での研究授業の指導案を期日までに仕上げられず、自由参加の球技型研修や同じく自由参加の体育部会の指導案検討には積極的に出ていってしまう。

 

…いや、常識的に考えて、あり得ないでしょ。

と、私は思ってしまう。

普通は、まず自分の指導案を仕上げなければと考えるはずだ、と思うのだが、今の若い子は違うのだろうか。

 

私は10月の研究授業の指導案を6月にはほぼ完成させ、分科会と研究部会でしっかり練って、余裕をもって講師の先生に送付したし、今年度1月に行う研究授業の指導案も、今の時点で形としては完成し、細かい部分を分科会でじっくり練っているところである。

勿論、個人の研究ではないから授業者一人が背負うものではないが、まず授業者が土台を作らないと、研究そのものが成り立たない。

そして、自分で作った指導案じゃないと授業ができない。…まぁそれは私が未熟故だと思うが。

 

指導案検討ではダンマリ、周りの助言をメモすることなく、主任に言われたことをそのまま指導案に書き込むだけ…

いくら本人が進んで引き受けたわけではない研究授業とはいえ、あまりにも無責任なのではないだろうか。

 

昨年まで同じ職場で働いていたが、そのような無責任な子には見えなかった。

…最も、飲み会の場でいろいろ聞いたら、ああそういうタイプだねという匂わせは多々あったのだが、それは今だからこそ合点いったところである。

同じ学年を組んだことはないし、何ならあまり接点のない後輩だったから、余計に見えなかったところではある。

…いや、去年までの学年主任、指導教官は何をしていたのだろうか、と言いたくもなる。

 

子供たちに指導をするはずだ。

たとえやりたくない仕事だとしても、やらなきゃいけない時は一生懸命取り組め、と。

指導する大人がそれでどうするのだろうか。

 

実際、ベテランにも同じようなタイプはいる。

自分の仕事しかしない、非協力的なタイプ。

大抵が、学級王国型の経営をして、次年度そのクラスの子を受け持つ担任が苦労するパターン。

採用者数減による若手の能力不足がよく問題視されるが、指導力のないベテラン、手本にならないベテランも同時に存在する事実もしっかり認めねばならないと思う。

 

そんな人たちを見ていると、日本の教育制度も、本格的に変えていく必要があるのだろうな、と思う。

自分が有能だとは思わない。能力が高いとは思わない。

だけど、組織としてやるべきことはやる人間ではいたいと思っている。

反面教師にして、しっかり自分を戒めていきたい。