ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

ドラゴン桜を観て思うこと

テレビをつけたら、たまたまやっていたドラゴン桜

こんな人物居たっけ?ハセキョンは?とか思っていたら、

どうも新シリーズの再放送だったらしい。

 

普段、学校をテーマにしたようなドラマは全く観ないのだが、

なぜか気になってしまい、結局ずっと観てしまった。

 

なぜ観ないのかというと、

結局ドラマだから現実味がない、ご都合展開が気に入らない、といった理由がある。

 

大学入試なんて、自分の経験でしか知らないし、高校教育がどのようなものかも知らない。

だから、他のドラマに比べて、雑念なく観れたのかもしれない。

 

で、観てどう思ったのか。

個人的な解釈なので、違うところもあるかもしれないけれど、

自分への記録という意味も込めて、つらつらと書いてみる。

 

 

共感できたところが、

教師は学問を教える以上に、子供が進んで学ぼうとするよう、

モチベーターのような役割が大切だ、ということ。

これは、今の学習指導要領で教職員に求められている資質だと思う。

 

今の子供たちは、言われたことはやろうとするが、

自分から考えて取り組む、新しいことに挑戦する、という意欲は低いように思える。

自分自身の子供の頃の経験からも、

やらされる勉強よりも、やりたいと思って取り組む勉強の方が効果があるのは納得できる。

学習指導要領に沿いながらも、いかに子供たちの学びたいという意欲を引き出せるか、

そこが難しいと思いながら、日々仕事をしている。

 

学習面の描写についても、それが正解かは別として、理解できる部分が多々ある。

同じ内容を教えるとしても、力のある子とそうでない子とでは、当然理解度に差が出る。

 

算数や数学で、公式や定義を教えるときが、まさにそれだろう。

力のある子は、公式や定義の意味をすぐに理解できるから、困ることがない。

苦手な子からすれば、意味のわからないことを覚えさせられている。

意味がわからないから、使い所もわからない。つまりは使いこなせない。

 

公式や定義は、例題を通して、まずは既習事項を活用しての解決方法を考える。

そこから法則性などに気付かせ、最終的に公式や定義として一般化し、練習問題を通して習熟する。

そのような流れを意識して、1単位時間の授業を構成するようにしている。

 

これが、力のある子の多い授業だと、一般化までがすんなり終わってしまう。

塾などで学習が進んでいるために理解できているような子も多く見られるが、

ただ覚えていること、ではなく後に活用できるような道具となるよう、仕組みから考えさせる。

 

苦手な子が多いクラスでは、まず学習内容をいかに自分の生活に結び付けられるかを考えながら

どのような導入が一番効果があるかを考える。

さらには例題を一般化する時も、いかにシンプルに、子供の感覚に近いものとして落とし込むか、

言葉としては、ごく一般的な数学用語で公式や定義をまとめるが、

子供の感覚に近い言葉を使って、咀嚼させることが大切だと考えている。

その中で、これはどういうこと?とか、こんな場面でも使えそう!とか、

そういった言葉が溢れてきたら、ある程度上手くいったかな、と思っている。

 

社会の学習でも、同じようなことが言えよう。

特に歴史の学習は、子供も大人も暗記を求められる学習だと思っている。

でも、歴史の学習でやるべきことは違うと思う。

過去の出来事や人物たちの取り組み、歴史的事象の経緯にまずは興味をもつこと。

なぜそうなったのか、それが今の世界にどのように生かされているのか、

それを調べ、調べたことから考察することこそが大切なのではないだろうか。

 

正直、年号を覚えたり、総理大臣や将軍を覚えたりすることには、大して価値がないと思う。

それよりも、なぜそのような政策が行われたのか。

時の権力者たちはどうしてそのような選択をしたのか。

結果はどうだったのか。

それを調べ、考えることの方が、未来を担う子供たちにとって価値のある学びになるはずだ。

 

要は、いかに自分ごととして課題を捉えさせることができるか、なのだろう。

どの教科であろうが、これは同じ、ということだと思う。

新学習指導要領を、ざっくりといえば、このように解釈した。

 

 

教育は、理想としては一人ひとりに対して適切な指導・支援を行うことだと思うが、

現在の学級あたりの児童・生徒数からすれば、理想論で終わってしまう。

だからこそ、子供たち一人ひとりが自分の課題に向き合い、率先して解決に取り組もうとする、

そんな環境づくりが大切なのだと思う。

 

使い勝手はともかくとして、子供たち一人ひとりがタブレットを活用できる環境が整いつつある。

これは、自主的な学習という点では、大きな一歩だと思う。

しかし、その使い方を間違えれば、投入された多額の税金は無駄金となってしまう。

タブレットの使い方に制約を設けるよりも、

子供たちがたくさんの知識を吸収したい、思考したい、交流したいと思うような環境を整え、

無駄な使い方をすることが勿体無い、と子供の口から発されるようにしていくことが、

教育現場でのICT活用の第一歩なのだと考える。

 

情報モラル教育も充実させることが必須となっているが、

それも、ただ禁止する、やってはいけないことを教える、では全く意味がないと思う。

どのような使い方をしたらよいか、このような使い方はありかなしか、など、

子供が考え、綺麗事ではなく自分の課題と捉えられるような指導が大切だろう。

 

 

連想ゲームのように、思いついたことを書き連ねたら、だんだんとまとまりのない文章になってきた。

とにかく、ドラゴン桜を観たことで、自分の仕事に対するモチベーションを高めることができた。

自分にはまだ十分な指導力がないが、子供たちと接する中で、自分自身も磨いていきたい。

そんなことを改めて考えた年の瀬だった。