ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

忍耐力を身につけるには・・・?

仕事をしていて、近頃特に感じるのが、子供の忍耐力のなさである。

 

取り組もうとしていることが難しそうだと思うと、やめようとする。

やっていて大変だと感じると、やめようとする。

聞こえてくるのは、いつも同じ言葉。

「嫌だ」「めんどくさい」

 

その言葉が既に未来を断っているような気がしてならない。

 

これも、近頃の風潮なのだろうと思うが、

子供が嫌だとか行きたくないとかやりたくないとか言うと、

それを大人が直ぐに、素直に受け入れてしまう。

結果、学校にも行かず家でゲーム三昧。

生活習慣は乱れるし、たまに来ても授業にはついていけない。

勉強がわからなくなるから、余計に登校しなくなる悪循環である。

今はそれでよいかも知れないが、未来は一体どうなるのだろうか。

未来の子供、未来の自分に対して、それで後悔することはないのだろうか。

 

無理強いをするのが良くないのはもちろん理解できる。

しかし、やるべきことをやらない子供に対して、

指導も何もせず、好きなようにさせることは、

果たして本当に子供のためになるのだろうか。

 

近頃の子供に限らず、大人もそうだと思うのだが、

やたらと権利ばかりが叫ばれ、やるべきことがなされていない気がする。

権利を行使することは悪いことではないけれど、

それが他者の権利を侵害していないか、とか、義務は果たしているか、とか、

一歩立ち止まって自分を見直す必要があるのではないだろうか。

 

課せられた義務は、決して快く受け入れられるものではない。

しかし、それが義務として課せられているのには、必ず理由があるはずで、

その理由を考え、自分の心を律して果たしていくことが、

心置きなく権利を行使するために重要なのではないだろうか。

 

嫌なことに耐える、やりたいない気持ちを抑える、最後までやり抜く。

そんな力をつけてくことが、これからの社会を生きていく上で

大切なのではないかと思う。

 

しかし、問題はどうすればその力がつけられるか、である。

これは、社会全体でそのような雰囲気づくりをするところから始めなければ

学校だけでも、家庭だけでも達成できないと思う。

こういった物言いをすると、戦前の悪き教育と同じだと言われかねない気もするが、

自分の目の前だけでなく、先を見据えることの意義を、

子供がわかるように教えることが、大人の責務だと思う。

少なくとも、自分はそう思って仕事をしている。

 

結局それが上手くいっているかと言う点については、残念ながら納得のいく結果は出ていない。

むしろそれが原因でクレームをもらうことの方が多い気がする。

現代で通用するようなやり方については、今後も試行錯誤が必要、ということだろう。

おかしいな、自分も比較的若い方の部類に属する人間だと思っているんだけどな。