ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

ゴールライン

いつからだろうか。

ゴールラインの位置が気になるようになったのは。

 

人間ドッグの受診を決めた時?

 

家庭をもった時?

 

親しかった友人の死を受け入れねばならなかった時?

 

挫折を味わった時?

 

それとも、もっと昔?

 

はっきりとは、思い出せない。

いや、おそらくずっと頭の片隅にあったことだから、

これといった決定的瞬間がないのかもしれない。

 

自分は、いつ終わりを迎えるのか。

 

昔から、長生きをしたいとおもったことはなかった。

 

長生きをしなければならない、と思ったことは幾度かある。

 

でも、それは自分の想いとは異なっている。

 

必要があるなら生きる。

必要がないなら、生きない。

それが、本心である。

 

問題は、必要という言葉である。

主語が、明確でないのである。

誰にとっての話なのか、それがわからない。

 

昔は、何となく近い将来のビジョンが見えていた。

そして、それなりに、見えていたビジョンの通りに生きてきた。

 

今では、自分が5年後10年後、一体どうなっているのか、どうなっていたいのか…

全く見通せなくなってしまった。

 

自分の将来を見通すためにも、ゴールラインの位置が知りたいのである。

ゴールが見えれば、そこに向かうビジョンが見えるであろう。

 

身の回りの全てを把握していないと安心できない性質の自分にとって、

自分の歩んでいる道がどこに繋がっているのか、どこで終わりを迎えるのか、

それが把握できないことが、非常にストレスなのである。

それを把握することは至極困難だということは、もちろん理解をしているのだが…。