ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

働き甲斐とは…?

先日、カウンセラー?による面談があった。

どうも職員全員を対象としたものらしいのだが、これがまた職場内でなかなかの不評だった。

困ったことを仮に話したところで、相手がカウンセラーである以上、問題が解決されるとは限らない。

何故なら我が職場の困りごとというのは、基本的に対人関係が主で、異様なレベルで情緒障害や発達障害を疑われる子供が多いことが次点に来るからだ。

これを話したところで解決するわけがなく、むしろその為に30分割かれるのがしんどい、という話があちこちから聞こえてきた。

私の一番な悩み、通勤時間が増えたことも、話したけれど何か改善されるわけではなく、驚かれて終わった。

てっきり指導主事が来るのだと思っていたから、拍子抜けした部分もあったが、まあそんなもんだろうな、と思う。

 

そのカウンセリングの事前調査用紙にも、そして先日配られたストレスチェック質問紙にも書かれていた言葉が、「働き甲斐を感じるか」といった類の質問である。

 

さて、働き甲斐とは一体何なのだろうか。

 

素直にネット辞典で調べてみると、「働くことによって得られる結果や喜び」とある。

 

果たして、今まで働いてきて、結果や喜びを得られたことはあったのだろうか。

 

まず、この仕事で得られる結果とは何だろうか。

子供の成長?

だとすると、どこまで成長したら、結果が出たと言えるのだろうか。

 

この仕事で得られる喜びとは何だろうか。

結果が出れば喜びもあるのだろうが、少なくとも私の中で、ここまでできれば結果が出たと言える!というラインはない。

つまり、私にとってゴールはないのである。

 

きっと、スモールステップで目標を立てられる人は、働き甲斐を見出せるのだろう。

私は、そのようなタイプの人間ではない。

山登りをする前から、雲の向こうに隠れた頂ばかりに目がいってしまうタイプである。

そして、計画通り完璧にことが進まなければ、結果が出たとは言わないタイプである。

 

結局、自分で自分を生きづらくしているのだと思う。

 

昨年度までは、職場の中で必要とされる人間でありたい、同じ学年の先輩方にとって有益な存在でいたい。

というある種の下心がモチベーションを保つ術になっていたのだが、今年はそれもない。

誰かのために頑張りたいという気持ちがなくなるだけで、こんなに活力が湧かないものなのか、と自分でも驚いたくらいである。

 

まぁモチベーションが上がらないおかげで仕事に変に熱を入れることもなく、結果として退勤時刻は少し早くなっているのが何とも皮肉な現実である。

 

そんな状況も、何年か働くうちに変わっていくものなのだろうか。

きっと6年前も同じようなことを思っていたのだろうけれど、モチベーションの落ち具合は、確実に今回の方が大きいと思う。

 

そんな状況を打破できる、せめて大きく気分転換のできる、楽しいイベントでもあれば良いのだけれど…。