ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

親の役割、学校の役割

この仕事をしていると感じるのが、

親がやるべきことを、

学校が肩代わりしている感。

 

例えば最近多いのが、

LINE等スマホに関するトラブル。

 

児童にも親にも、

危険性やトラブルの可能性を、

具体的に伝えている。

 

しかし、トラブルはなくならない。

そして、その責任を学校が背負わされる。

 

たいてい、

「学校でどうにかしろ」

といった類の連絡が来る。

 

いや、そこは買い与えた親の責任でしょう。

そう返したくなる。

 

 

別の件を挙げるとすると、

児童の食事作法、生活習慣、ルールやマナーなどなど、

社会生活に関わるもの。

 

時間を守る、とか、

暴力、暴言とか、

家庭でもっと指導してきてほしいことが沢山ある。

 

でも、それも全て学校が背負わされる。

 

もちろん、

学校という環境の中で

学ばなければならないことも

沢山ある。

 

でも、基礎が出来上がっていないのに

そこにしっかりとした建物を建てる

というのは不可能だ。

最低限、入学までに組み立てておくべき部分は

絶対にあるはずだ。

 

結局、そんなアンバランスな建築を

無理やりにでもせざるを得なくなり、

現場はさらに苦労することになる。

 

 

この仕事を選ぶ時に、

自分なりに大義を掲げて始めたつもりだが、

それが今、大きく揺らいでいる。

 

自分が何のために頑張っているのか、

それがわからなくなってきている。

 

万人に認められることは不可能だけれど、

その不可能をも要求されるのが、この仕事である。

 

せめて、学習指導とクラス経営、

学校運営に関わる校務に専念させてほしい。

 

様々な要求をしてくるのは構わないから、

最低限、親も責任を果たして欲しい。