ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

文句を言うだけの人間になってはいけない

何かを決断するというのは、

とても難しいことである。

その決断が正しかったか否かは、

後の世にならないと分からないこともある。

決断をしたことで周囲に与える影響も、

様々な可能性が考えられる。

その中で一つの結論を見出し、

指示を出すことは、容易ではない。

ましてや、

その責任を全て背負わなければならないとなれば

尚更なことである。

 

今、

世の中は無責任な批判に満ちているように思う。

今までもそうだった気もするが、

今まで以上に、批判と文句に満ちている気がする。

 

新型コロナウィルス。

 

私も振り回されている一人である。

 

国からの方針、役所からの方針が降りてくる。

その内容は現場的にはなかなか無茶なものである。

一番忙しい時期に何もさせてもらえないのだから。

上からの指示は仕方ないとして、

問題は、詳細が現場裁量が多いことだ。

現状で最善を検討し計画を立てたところで、

また上からの通達が降りてきて、

見事にひっくり返る。

その繰り返しである。

 

正直文句の一つも言いたくなる。

むしろ職場では愚痴を零している。

 

しかし、

私達がしなければならないことは違う。

与えられた条件下で、

極力混乱が生じないように、

やるべきことを行えるように、

最善の策を考え、実行することのはずだ。

少なくとも、私はそう考えている。

 

世の中の動きはどうだろうか。

 

デマ情報に流され、

公共電波は様々な手法で不安を煽動し、

それに便乗して横行する悪徳ビジネス…

 

思い出すのは、石油ショック

私の生まれる前の話だが、

中東情勢の変化による原油価格の引き上げを機に

なぜか紙製品の買い占めが起きている。

 

今回、マスクの買い占めから始まり、

トイレットペーパー、ティッシュ

さらには米の買い占めが起きている。

おまけにコロナウィルス対策になる食材とやらの

信憑性に欠ける情報も出てきている。

 

日本人は、歴史から何を学んだのだろうか。

 

子供に言われることがある。

歴史を学ぶ意味がわからない、必要さを感じない、と。

 

歴史を学ぶ意義とは、

現代社会に至るまでの経緯を学ぶことで、

先人から得られる多くの成果や課題を知り、

今後の社会に生かすことだと私は考える。

 

今回、石油ショックの反省が生きていないではないか。

そう感じるのは、私だけだろうか。

 

文句を言うのは誰でもできる。

いつでもできる。

が、

今求められているのは、

状況の沈静化であり、

それに向けての各個人の冷静な対応だろう。

 

ただ文句を言うだけの人間でなく、

大きな決断をした人間に対し、

労いの言葉をかけられる、

個々人にできる範囲で協力をする、

そんな人間が増えてほしい。

子供たちには、

そんな人間に育ってほしい。