ひとりごと

首都圏で教師をしているゆとり世代の独り言。

多面的・多角的に見る力の大切さ

昨晩、久しぶりに小学校時代からの友人たちと会話をした。

某オンライン会議ツールを使って、8時間程にもなる、長いが濃い時間だった。

 

当然、話題は其々の近況が中心となる。

一言でまとめれば、皆其々何かしらの苦労をしているのだ、ということになる。

 

今の部署での悩み、転職への悩み、病に関しての悩み、出産・育児についての悩み…

悩みの内容は人によって異なりはするが、どれも大事な悩み事であるのには変わりない。

 

集まったメンバーは、職種が全く異なっている。

それ故に、話をしていると、自分とは異なる視点での見方、捉え方に触れることが多い。

飛躍への想い、変革への熱意を、其々がもっているが、同業者とはまた違った視点での提案があり、議論が交わされる。

そこに、多面的・多角的なものの見方が表出する。

 

熱意のある人ほど、視野が狭くなり、物事の捉え方が偏る傾向が多くあると、私は考える。

しかし、その偏った捉え方で居続けることは、大きなリスクに気付かなくなってしまう危険性も高めると思う。

そんな時に、違った見方捉え方をしてくれる人が側に居るか否かで、その人の歩む道は大きく変わるだろう。

結果として選んだ道が変わらなくても、一本道に見えたところに選択肢が出てくること、それ故に一度歩みを止め思考を巡らすこと、それが大切なのだと思う。

 

多面的・多角的に見る力、というと、自分自身にそのような力をもたせなければならないように思える。…少なくとも私はその言葉を聞いた時にそう解釈をした。

でも、それには限界があると思う。

寧ろ、自分自身にそのような力をもたせることと同じくらい、他者からの見方捉え方を受け止め、取捨選択する力をもつことが大切なのではないだろうか。

 

そうなると、コミュニケーション能力の側面が強くなってくるように思える。

これはきっと、塾にはできない、学校という環境でこそ育てられる力だと思う。

 

グダグダとまとまりのない話になってきたが、とりあえず自分が今やるべきことが、少し明確になったような気がする。

 

私は友人に恵まれているな、と勝手に思った楽しい夜であった。